取締役 副社長
10歳から実業団を引退する25歳までの15年間、体操一筋の日々でした。日本体育大学にいた頃は、日本一になることだけを考え、毎日厳しい練習に明け暮れました。日本代表のメンバーに選ばれて世界大会に出場したこともあります。そんな15年間の競技生活の中で学んだのは、「結果を出すためには努力を積み重ねるしかない」ということ。ある意味仕事も同じだと思います。たまにはラッキーもあるかもしれませんが、大半は自分がそれまで積み上げてきた努力の成果です。逆に、社会にでると理不尽なことは山ほどありますが、そういったことへの耐性も競技を通して身につきました。やけになったり投げ出すのではなく、ポジティブに変換させて自分の中で昇華することを覚えたので、多少のことは乗り越えられる自信がありますね。
実業団を引退した後は、厳しい勝負の世界から離れて生活がしたいという気持ちがあり、奈良で教員として働いていました。しかし、いざ離れてみると、「本当にこれでいいのだろうか」と思い始めたんです。先の見える人生よりも、努力次第で道が開ける、その結果がしっかりと反映される仕事がしたいと思うようになり、そんなときに出会ったのが平川社長でした。
入社後はパチンコ店の現場スタッフを1年ほど経験した後、店長とエリアマネージャーを務めました。その後は、奈良健康ランドやゴルフ場、本社ですべての部署を統括する本部長、常務、そして今の副社長というポジションへと至りますが、トントン拍子にここまで来たわけではありません。最初の現場では、当時、大卒入社は業界では珍しかったため、アウェイな雰囲気の中、丁寧に仕事を教えてもらえるような環境ではありませんでした。一番下っ端ですし、できることもありませんから、もっぱら仕事はトイレ掃除。でも、理不尽なことでもやるしかないと思っていましたし、いつか見返してやろうという気持ちで、取り組んでいました。そういった環境でも社長はいつも気にかけてくださり、たまに一日運転手として社長の仕事に同行させていただくこともありました。それが目標であり、心の支えにもなって、モチベーションを高く維持することができたのを覚えていますね。
一度、社長の運転手をしているときに、新車をぶつけてしまったことがありました。普通であれば、車を降りて傷や凹みを確認しにいくと思うのですが、社長は傷を見ることもなく、「気にすんな!」と言って去って行ったんです。すごく驚いたと同時に、「なんてかっこいいんだ。自分もこんな器の大きな人間になりたい」そう思いました。
私がまだ若手だった頃、社長から突然“バッティングドームをつくってみるか?”と打診されたことがありました。当然、経験などありませんから、何から始めればいいのかすらわからなかったのですが、わからないなりに営業方針から人材の手配まで調べて、探して、聞いて、なんとかオープンまでこぎつけました。思いもよらないミスや失敗はたくさんありましたが、自分の手でゼロから一つのものを作り上げたことは大きな自信となりました。このように、当社では経験にかかわらず、任せられると判断したら誰でも任せてもらえる環境があります。
特に、入社2~3年目の若い子たちはとても面白い発想を持っていますので、アイデアの種を一緒にブラッシュアップして、事業を立ち上げていきます。ただ、社会人になったばかりの新人に、いきなり経営を任せるとなると難しいのも事実。もちろん、発案者は新規事業のメンバーの一人に加わりますが、任せっぱなしで放置するのではなく、道を逸れないように、寄り添い、見守ることも大切にしています。初めて事業の立ち上げに参加する若いメンバーは、やりがいを感じるのはもちろん、それ以上にアイデアを形にすることの難しさを感じるようですね。壁にぶつかって、それを乗り越えていくことで少しずつ成長していってもらえればと思っています。
今私がもっとも注力しているのは、次の世代を担う人材をどう育てていくかということです。これからは自分が先頭に立って旗を振るのではなく、旗を振る人材を育てていく必要があると感じています。それは1年2年でできることではありませんので、時間をかけてやっていかなければなりません。そして、そういった人たちにさらに次の世代を育ててもらう。その繰り返しで、100年、200年存続していくような強い企業になっていければいいですね。当社で活躍できるのは成長意欲のある人。仕事はよくも悪くも大半の時間を占めますから、人生の中で大きな意味があると思います。それを前向きに捉えて、目標をしっかり持って、そこに向かってチャレンジし、自分の成長が会社の成長につながっていく。そんな思いで入社していただけたらと思います。当社にはいろんな自己実現を叶えられる土壌があるので、目的意識と成長意欲さえあれば、きっと想像以上の未来が待っていると思います。