アパレル事業
株式会社クラッシュアンドカンパニー
代表取締役社長
入社したのは25年前。当時からパチンコ事業を基盤にしながらも、すでに多角的な事業展開もはじめていました。入社後はパチンコ事業部に配属され、30歳までに4店舗の店長を歴任しましたが、正直なところ当時は、会社が様々な事業を手がけているにもかかわらず、パチンコ事業部のことしか見えていませんでした。しかし、平川社長には常に「経営者意識を持て」ということを言われていたので、「経営者」という言葉は20代の頃から強く意識し、当社の社員は「給料をもらう人」ではなく、「お金を生み出す人」という精神を持つべきだということを理解していました。
30歳からは本社勤務となり、パチンコのエリアマネージャーと営業部長を経験した後、奈良健康ランド・奈良プラザホテル総支配人、総務人事部部長を経て、現在の100%子会社株式会社クラッシュアンドカンパニー代表取締役に至ります。
様々な事業部・ポジションを経験させてもらいましたが、当社においてそういったチャンスは決して“平等”というわけではありません。与えられた環境、ルールや条件は同じですが、その中で競い合うわけですから、平等というよりは“公平”といった方が正しいでしょう。全員にチャンスを得る権利はあるけれど、必ず与えられるというわけではありません。
たとえば、私がまだパチンコ事業部にいたときの話です。当時、当社で最も大きな店舗をオープンすることになり、私はどうしてもそこの店長になりたいと思っていました。しかし、実際に選ばれたのは私よりも2年後輩の社員。本当に悔しい思いをしましたが、納得せざるを得ませんでした。なぜなら間違いなく彼の方が私よりも実力があったから。その後、彼は会社の期待に応えその店舗を大成功させました。年齢や社歴・職位は関係ありません。実力主義、フラットな評価とはそういうことなんです。色々と複雑な気持ちが入り混じった感情を抱くことも多々ありましたが、そういった経験が、今の自分を形成したと思っています。
25年間のキャリアの中で、成し遂げた実績や成功体験というものをあまり意識したことはありません。それはすぐに過去のものになって、通用しなくなるからです。それらよりも、社長から学ばせてもらったことの方が何倍も大きいと感じています。社長に言われた「経営者意識を持って働くこと。経営者の細胞の一部となるぐらいの気持ちを持って欲しい」という言葉は、20代の私にとって強烈なインパクトがありました。経営者になることを意識するようになったのも、この言葉のお陰です。
また、入社2年目で初めて店長になったときには「お前は、赴任先の店舗の誰よりも若く、経験もなく、未熟や。でもな、店長として、赴任するからには、お前が今日からこの店の大黒柱や。仕事が、出来る・出来ないではない。大黒柱として、人も店舗もすべて背負う気持ちを持つように。それを忘れずに、行ってこい」と言っていただいたのですが、この言葉はその後、異業種や未経験の職に就くときの励みとなり、今も私の心の中で生き続けています。
社員から平川グループは「意見が言いやすい社風」「上下間の壁を感じない」という声を聞くことがありますが、それは会社がそういった社風をあえてつくっているというよりは、個々の捉え方ではないでしょうか。自分の考えをしっかりと持ち、本気でそれを実現したいという強い想いがあれば、上下の壁を感じることなく、意見をはっきり伝えることができます。私自身、今まで社長や副社長には意見を伝えてきましたし、いいも悪いも受け止めていただいてきました。想いがあれば必ず受け入れられますから、意思を持って積極的に発信できるような人がたくさんいる会社になればいいなと思っています。
私は、自社の社員やスタッフが増えれば増えるほど、世の中を幸せにすることができると信じています。「2025年までに100店舗、100億円の会社にしよう。そして、たくさんの人たちに喜んでいただき、世の中をハッピーにしよう!」。日々、みんなにそう呼びかけ、全員で同じゴールに向かって走り続けています。この目標達成が、次なる会社や社員・スタッフ、自分自身の成長に繋がると信じて、取り組んでいきたいと考えています。